新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか

「新型コロナ」市民ジャーナル(1)2020.5.1

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「ゴーン海外脱出」のビッグニュースで明けた2020年は、その後は予想もしなかった「新型コロナウイルス」による感染症のパンデミックで、第2次世界大戦以来の激震に世界が覆われている。
 「予想もしなかった」というのは筆者や大方の凡人と政治家たちのことで、感染症研究者らは2002-3年のSARSや2012-15年のMERS後に「遠くない時期に世界規模の新型コロナ感染症」のパンデミックが起きることを予想し、医療体制などを強化するよう警告していたという。台湾や韓国など一部の国を除いた多くの国はその警告に耳を貸さず、欧米大国は軒並みに「医療崩壊」を起こし悲惨な状態になっているほか、ひと足遅れて感染拡大の道をたどっているこの国も、医療崩壊の危機に瀕している。

「非日常」が日常になるかもしれない終息後の社会

 この3カ月、とりわけ国内感染が深刻になってきた3月初旬以降、外出自粛などの日常活動の制約を受け、3月半ば以降は市民活動もほとんどの集会や会合が中止のやむなきに至り、その後は息を詰めるように事態の展開を見守ってきた。
 その中で次第に確信できるようになったのは、この感染症とは今後長期間にわたって「末永く」付き合っていかざるを得ない覚悟のようなものが出てきたことだ。さらに、パンデミックが「終息」した後の「コロナ後」の社会は、30年前のバブル崩壊後の政治、経済、社会の変化をしのぐ「歴史的な変化の時代」を迎えることになるという予感がしてきた。

 このジャーナルは、コロナ禍と付き合う日々の中で感じた「気づき」を、綴っていきたい。2012年まで発信してきたメールマガジン「まこと流まちづくりの地平」を、7年の休載を経て衣替えしてお届けしたい。

新型コロナ感染症は、自然災害の多発と根っこは同じ

 1944年生まれの私は、戦後史をほぼ自分が生きてきた時代と重ね合わせて見てきた。
 戦後75年の一つ目の大きな節目は、高度経済成長の“裏面”として世界を覆った「公害」の蔓延だった。その典型例として、この国は1960年代半ばから1970年代を通じて「公害列島」と呼ばれるほどの環境破壊の洗礼を受けた。経済の国際化が一気に進んだ80年代に入ると、熱帯雨林の伐採に象徴される地球環境の破壊が地球規模で広がり、90年代になると「待ったなし」で地球温暖化への対応を迫られた。
 20世紀半ばからの先進国の異常な経済成長と、止まるところを知らない開発圧力が、地球の生態系を狂わせ、ついには21世紀を「災害の世紀」と呼ぶところまで追い詰めた。すでに1995年の阪神・淡路大震災の前後から始まった世界的な自然災害の続発は、地震、津波、火山噴火、干ばつと局地的豪雨に洪水、山林火災など、21世紀に入りその牙をいっそうむき出して地球規模での災害が続いている。

 一方、いま直面している感染症は、野生動物が由来のウイルスによるものだ。世界中の原生林が伐採され、都市化された中で野生動物との接触機会が増え、病原体を移されるリスクが高まる。今回のCOVID-19がいつか「終息」に至っても、未知の新しい病原体は次々に現れる。英国の環境学者は「野生動物から人間への病気の感染は、人類の経済成長の隠れたコストだ」と言う。SARSの脅威に世界が震えた20年前に比べて、人の移動も含めたグローバル化の進展が今回の感染症の地球規模の拡大を速めたといわれる。
 地球温暖化を止めなければ、地球が破綻するという国際的な合意ができるまでに半世紀を費やしたが、感染症の拡大を防ぐための国際的合意を生むまでに、今後どれほどの期間を必要とするのか。新たな感染症対策は、短期的には人の接触を減らして広域的な人の動きを断つしかないが、それは人や物の移動によってもたらされた経済発展の仕組みを断つことに直結する。
 いま、感染症の拡大を止めるために地球規模で人の移動を封鎖し、地域社会でも外出を抑制することを避けることができなくなっているようなことが、今後とも繰り返されるかもしれない新しい社会の入り口に、私たちは立っていると言える。

感染症対策への「歴史的認識を欠いた対応」がもたらす後手後手の対策

 新型コロナ感染症への対応で、2つのタイプが注目されている。
 一つは、現時点で100万人を超える世界最大の感染者、6万人を超える死者を出している米国をはじめヨーロッパのスペイン、イタリア、仏、英などの先進各国は、医療崩壊が進み悲惨な状況が報告されている。 もう一つは、台湾や韓国、ニュージーランド、オーストリア、ベトナムなど、早くから徹底的な検査体制を敷く中で医療崩壊を招かず、すでに一部で外出制限の緩和を始めている国々だ。これらの国の特徴は、過去の感染症の教訓を生かし、医療体制の充実を図り、中国での新型コロナ感染の発生確認後いち早く対応したことが評価されている。

 こんな中で気になるのは、日本政府の国内対応だ。感染症対策本部幹事会を設置した1月30日時点ですでに中国では7711人の感染者、170人の死者が出ており、国内でも1月15日に初の感染者を確認しこの日までに中国、タイに次ぐ9人の感染者を確認していたが、対応は鈍かった。武漢からの在留邦人の救出と感染者への対応や、2月初めから始まったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の感染者増大への対応に2月下旬まで追われた。
 感染症対策の初期段階での「水際対策」では、中国・湖北省だけを入国拒否の対象にしたのが2月1日、12日には浙江省に拡大したが、1月から中国全土を対象にしていた米国や豪州などに比べると甘い対応だった。インバウンドへの影響や4月上旬に予定していた習国家主席の訪日に配慮したことなどが背景にあった。中国全土や韓国、すでに深刻な感染拡大になっていたヨーロッパ各国を対象に規制したのは3月の中・下旬になってからだ。習訪日の延期が決まり、東京五輪の延期が事実上不可避になる(延期決定3月24日)までは「感染拡大国」の印象を避けるために、初期対応が後手後手に回ったのは衆目の一致するところだ。

 3月11にはWHOが「パンデミック」を表明し、13日には特措法を成立させていたが、知事選を控えた小池都知事の「ロックダウン」(都市封鎖)発言(3月23日)や「外出自粛要請」(同25日)に突き上げられる格好で、特措法に基づく「緊急事態宣言」を発出したのは4月7日になってからだった。「休校要請」や「外出自粛要請」を出す場合にも、感染症拡大への危機感や認識が乏しく、すでに常識になりつつある「収束と終息までの長期化」について認識がないために、補正予算審議の中でもいまだに「長期化することになれば、第2、第3の対応も考える」という答弁を繰り返すことになる。
 このような政権に、未曽有の感染症対策のかじ取りを委ねていて、この国は大丈夫なのかと深刻に思う。

「コロナ後社会」への議論がすでに始っている

 新型コロナウイルスに向き合って、すでに3カ月を超えた。当初はその感染力の猛威と発生元の中国・武漢市の厳しい状況に恐れと恐怖感が充満していた。国内では3月半ばから事実上始まった外出自粛や休業、休校、接触回避の暮らしも“日常化”し、さらに1カ月にわたって緊急事態が延長されることにも、抵抗感が薄れてきたように見える。
 もちろん、さし迫る医療崩壊への危機感や、高齢者介護福祉や障碍者施設の窮状、学校現場や家庭での深刻な教育への不安、零細事業者や文化芸術活動者の閉塞状態など、社会的な混乱と窮乏は、これから一層深まることが予想される。
 しかし、これまでの自然災害や戦争と異なり、この窮状は世界のすべての人々が同じ境遇に置かれていることが決定的に違う。さらに4月に入ってからは、学識者や文化人、市民活動の現場からも「コロナ後」の社会についての発言が目立ってきた。
 先進国の感染症が収束しても、途上国などへの拡大が顕在化する中で、パンデミックの「終息」にはおそらく数年はかかるだろう。そして、その後も新型ウイルスとの長い付き合いが避けられない。その中ではグローバル経済のあり方も、国と国の関係も、働き方も、学び方も、暮らしのあり方も大きく変わらざるを得なくなるだろう。
 「コロナ明け」には、どんな世界が待っているのか? いましばらく、家に籠りながら思いを巡らせたい。