「コロナ後」の政治と選挙を考える

──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
松本誠のメールマガジン

「新型コロナ」市民ジャーナル(7)2020.7.4

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(8)「コロナ禍の地獄絵」が迫っている!
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 新型コロナ感染症は6月28日に世界の感染者数が1000万人を超え、死亡者も50万人を超えた。連日15万~20万人近くの感染者が増大し、WHOは警告を発している。欧州では感染拡大は鈍化し徐々に経済活動の再開を始めているが、米国をはじめ新興国や途上国では感染対策と経済活動のバランスの取り方を誤り、感染は深刻化の一途をたどっている。
 国内でも5月25日に緊急事態宣言を全面解除し、6月19日には移動制限も全て解除した。野党が求めていた国会審議の継続を振り切って6月17日に通常国会を閉じた後、政府の動向からはコロナ対応は影を潜め、政権と与党の関心は衆院解散時期や「ポスト安倍」をめぐる“政局”一色になっている。だが7月1日まで連続6日にわたって都内の感染数が50人超、2日からは3日連続で100人を超えた。全国の感染者数も5月初めの連休以来の200人超に達した。政府や都は7月5日投開票をめざす東京都知事選もあってか、重大視しない日が続いている。
 世界と国内の感染動向が連日オンタイムで耳に入る市民の多くは「第2波」「第3波」への懸念が強いが、なぜか政府や国会、行政との温度差が激しい。政府はこの間、2月以降の感染症対策の要になってきた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議を解散し、新たな機関をつくると表明したままで、専門家の助言体制も揺れ動き、宙に浮いたままだ。

市民と政府の“温度差”の背景と、感染症の将来見通しの落差

 私は6月末の27日と29日、明石と神戸で開いた2つの討論集会で「新型コロナ禍から何を学ぶか?」「コロナ後の政治と選挙戦略を考える」と題した問題提起を行った。前者は政策提言市民団体「市民自治あかし」主催の討論集会、後者は、兵庫県の国政選挙で「市民と野党の共闘」をこの5年間模索してきた市民団体「連帯兵庫みなせん」が主催する集会だ。
 討論会を企画したのは、コロナ禍が今後も長期的に感染の拡大と小康状態を繰り返しながら、日本と世界の政治、経済、社会の在り方を根底から変えることを迫り、この30年余続いてきたさまざまな危機状態からの脱却へ大きく背中を押すことになると確信しているからだ。すでに世界の多くの識者や賢明な政治家、経済人らがそのことに気づき、機会あるごとに発信している。市民も少なからずの人たちが、自らの暮らしが大きく変わっていくことを何となく察知しており、大変な節目になることを感じている。
 にもかかわらず、この国の政府や政治家の感度が極めて鈍く、この感染症が国内で広がりだしてから間もなく半年になろうとしているのに、そうした議論や政策づくり、感染拡大の2波、3波への備えをそっちのけで「政局」への関心に没頭している姿は、まさしく“危機の上塗り”ともいえる状況にあるからだ。

感染拡大の制御と経済活動再開のパラドックス、カギは医療体制の強化だが…

 2つの討論会で提起した論点の一つは、「感染拡大を制御すること」と「経済活動を再開すること」が、相反する政策になってしまっている状態から、どのように脱却するかだ。政府は来年に延期したオリンピック開催が念頭にあるためにワクチンや治療薬の開発に前のめりになっているが、専門家や専門機関は実用化には早くても2、3年はかかるという見立てを繰り返し発信している。では、感染拡大の大波が来るたびに経済社会活動の制限や外出自粛を繰り返すしかないのだろうか?
 これに対しては、何人かの論者が指摘しているように、社会経済活動を大きく損なわないことを前提に医療崩壊を防ぐスウェーデン方式も注目されるが、国内の感染拡大の経緯を振り返れば明白なヒントがすでに出ている。
 そもそも3月末からの感染急拡大に対して、安倍首相がいきなり全国一斉の学校休校を呼びかけたり、小池都知事が「首都ロックダウン」の可能性をちらつかせて営業と外出の自粛を要請して経済、社会活動を制限したのは、感染拡大によって「医療崩壊」をきたしかねないからだった。感染しても8割が無症状か軽症で済むなら、重症化した患者や中症状患者を隔離し治療できる医療体制があれば、社会経済活動を制限することもなかった。欧米のオーバーシュートした国々はいずれも医療崩壊状態になってしまったために、都市ロックダウンしか方策がなかった。欧米に比べて感染者数が極めて少なかった日本で、欧米と同じように経済社会活動に制限を加えねばならなかったのは、この国の感染症に対応する医療体制が極めて貧弱だったからに過ぎない。
 感染者を早期発見し隔離するための検査体制の拡充と重症者に対応する医療体制の強化は、3月以来専門家会議や医療関係者が一貫して求めてきたことだ。幸いにして国内感染の第1波はあの程度に収まったために医療崩壊はかろうじて免れた。しかし、院内感染が多発し、基幹的病院が機能マヒに陥ったことや、東京は一般診療への影響も含めてすでに医療崩壊していたという指摘もあった。
 だとすれば、5月以降小康状態になったこの期間に、医療体制に万全の対応をしなければならないにもかかわらず、政府の対応は冒頭に述べた通り「のど元過ぎれば」の状態だ。2次にわたって60兆円近い補正予算を組んだにもかかわらず、コロナ重症臨時病棟の増設は一部の自治体や病院経営者に依存したままだ。すでにほとんどの医療機関が、コロナ患者受け入れによる病院経営の破綻を訴えており、第2波を受け止めることができる抜本的な対応を求めているが、政府の腰は重い。

不可解な専門家会議の解散決定と、専門家会議からの提案をどう生かすのか?

 こうした中で6月24日、西村コロナ担当相が突然「専門家会議の解散」を発表した。ほぼ同じ時刻、専門家会議の主要メンバーは日本記者クラブで記者会見し「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方」を提言していたが、席上記者から「解散発表」を知らされて戸惑ったのは象徴的な場面だった。その後、与党内からも解散発表の経緯に異論が続出し、経済再開優先の政策を進めたい政府と専門家会議の間にさまざまな軋轢があったことも明らかになり、またしても政府の感染症対策の“場当たり”的な対応が明るみに出ている。
 12ページにわたる「提言書」は、専門家会議の全メンバーも加わった「コロナ専門家有志の会」のHPで公開されている。政府の感染症対策に関わったこれまでの取り組みを検証し、見えてきた課題を整理したうえで、政府への提案を取りまとめたものだ。ここには、幾つかの重要な提言が盛り込まれている。
 提言の一つは、専門家助言組織の在り方だ。医学的見地から助言と提言を行う専門家会議と、それを受けて政策を決定し執行に責任を持つ政府の関係だ。感染症のパンデミックを危機管理の中に取り入れていなかった政府は、1月半ば以降の国内感染症の拡大に対して対応する用意がなく、そこへ五輪開催への配慮などが重なってコロナ対応が後手後手に回った。未曽有の感染症拡大に危機感を感じた専門家らは、自ら提言した内容を記者会見などを開いて直接国民に訴える行動を重ねたり、政府も政策の発表に際して専門家会議に依存し、あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えた。
 専門家助言組織については、医学や公衆衛生以外の多様な領域からも「知」を結集した組織とする必要性を提言し、政府のリスクコミュニケーションの在り方にアドバイスできる専門的人材の参画も必要とした。政府は経済活動の再開を優先する方向に舵を切った時点で、経済対策の専門家を加えようとしたが、感染症対策と経済優先のバランスのみにこだわった対応が反発を呼び、一方的な専門家会議解散につながった。
 上記の提言の中で、もう一つ重要な提言がある。感染症の疫学情報に関するデータの公表体制が著しく遅れていることの改善が、次の感染拡大に備えた喫緊の課題である。自治体が保有する感染者やクラスターに関する情報の多くは電子化されておらず、フォーマットも統一されていない。医療機関をはじめ保健所、地方衛生研究所、国立感染症研究所でも、感染者情報を迅速に収集、分析、還元するシステムの構築が遅れ、専任の担当者も質的、量的に不足している。すでに世界では新型コロナウイルス感染者情報を迅速に収集し分析・公表できるシステムが構築されており、このシステムの徹底的な活用に取り組むことを求めている。

第2波以降の「コロナ禍の地獄絵」を避けるために、何をすべきか

 29日の「コロナ後の政治と選挙」討論集会では、すでに第2波の兆候が出ているように政府の今後のコロナ対応が今後も後手後手に回り、取り返しのつかない事態も懸念される。「地獄絵」を回避するためにはどうすべきなのかを提起した。すぐに政権を変えることができないのであれば、一つは自治体が責任を持って大胆に地域医療体制の強化を先行し、感染制御と社会経済活動の両立を図る施策に取り組むことだ。
 もう一つは、こうした自治体を財政や制度面で国が支援するために、現政権に危機感を感じている政治家が与野党を超えて国会のイニシアティブで超党派的な政権運営を立ち上げることだ。コロナ危機打開のための緊急避難的な政治システムの実現を期待したい。