失敗した感染対策を超える「ゼロ・コロナ」戦略とは何か?

──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
松本誠のメールマガジン

「新型コロナ」市民ジャーナル(10)2021.2.8

PDF版(閲覧またはダウンロード)


(11)コロナ対応を誤らせた元凶「東京五輪」開催の可否決断迫る
→(9)は、こちら

 2回目の緊急事態宣言は大方の予想通り、3月7日まで1カ月延長された。入院療養施設の満杯、重症者と死者の増大など首都圏や関西圏など大都市部の感染状況が、最も危機的なステージ4(爆発的感染拡大)
のレベルから脱することができず、大都市圏以外にも全国津々浦々でも医療危機が募っていたからである。宣言下の規制の延長によって3月末以降には新規感染者の拡大には一定の歯止めがかかるという見通しも出ているが、他方では感染力が強く死亡率も高いと言われる変異型の市中感染を彷彿させるような状況が相次いでいる。
 政府が決め手と期待するワクチン投与の先行きについても、ここにきてさまざまな“死角”が表面化してきている。一つは、政府が米欧3社と供給契約を結んでいる供給が、予定通りに行われるかどうかという疑問。もう一つは、接種場所や医療従事者の確保がうまくいくかどうかの課題だ。供給は政府の責任だが、接種は自治体への丸投げだ。長期にわたって広大な接種会場を確保し、感染者の対応で手いっぱいの医療・保健従事者の確保に現場では悲鳴が上がっている。マイナス70度でワクチンを流通させる保管・輸送体制の整備もこれからという段階だ。
 いずれの対応も、1年前の第1波の段階から取り組みを始めていなければならなかったことを放置し、第3波が現実のものになってからあたふたする「後手後手」の対応によるものだ。安倍・菅政権の失策が今日の状況をもたらしたのは明らかだ。
 ここにきて、政府のコロナ対応の失敗を踏まえて、第4波、第5波に備えるためにも「ゼロ・コロナ」戦略に切り替えるべきであるという声が高まってきた。通常国会開会後の代表質問で立憲民主党の枝野幸男代表も提案していたが、1月31日に開いた同党の大会で感染爆発と医療崩壊を招いた失策を「人災」と断じ、次期衆院選で政権交代をめざすと宣言したうえで、検査体制の拡充と医療現場への支援を最優先で進める「ゼロ・コロナ」をめざすことも具体的に提案した。

中途半端な感染対策で経済活動の両立めざして感染爆発招いた国々と、感染を抑え込んだ国

 「ゼロ・コロナ」戦略というと、中国が強力なロックダウン(都市封鎖)によって感染を徹底的に抑え込む方式が浮かび、「政治体制が異なる日本ではできない」「人々の行動を強圧的に規制することは憲法上もできない」という反論がよく出される。また、無症状が多く感染力の強い新型コロナウイルスを「ゼロにす
ることはできない」という声もある。
 もちろん、現状で新型コロナの感染を物理的にゼロにすることは難しいが、限りなくゼロに近づけて感染が確認されれば隔離と周辺での濃厚接触者を検査して感染の拡大を抑え込むことは可能である。中国やベトナムなどの社会主義国家だけでなく、自由主義圏でも台湾やニュージーランド、オーストラリアなど感染抑
止に成功している国もある。
 これに対して、爆発的な感染拡大をもたらしている国は、米国や英、仏、伊など感染初期の段階でのコントロールに失敗し、感染が下火になるまでに経済活動の再開に迫られ「感染抑止」の手綱を緩めた国が、ずるずると爆発的な感染拡大を余儀なくされてきた。第1波で比較的低い感染拡大と少ない死亡者でしのげた
日本も、第2波から第3波に至る過程で「経済回復」に重点を移したために、第3波の爆発的な感染拡大を招き再び緊急事態宣言を発令、2ヵ月にわたって人口の過半数を占める地域で暮らしや移動を制限する事態を招いた。外出や移動、飲食や集客施設の営業を事実上停止し、スポーツや文化・芸術活動などもストップする状態が続いている。欧米の爆発的感染国に比べると累計感染者数や死者数は一ケタ少ないが、アジアではすでにインドに次ぎ感染数も死者も2番目に大きな感染国だ。

手ごわい新型コロナは、制御可能な状態まで抑え込まねば、悪循環が続く

 言うまでもなく新型コロナウイルスは、感染症の中でも手ごわいウイルスだ。無症状が多く、感染すれば高齢者や既往症を持つ人は重症化し、死に至る確率も高い。加えて、より強い感染力を持ち死亡率も高い変異型が次々に生まれ、確実な治療薬やワクチンによる対応も困難な面が多い。
 このような感染性の高いウイルス感染症は、罹患者を早期に発見し、隔離治療するのが原則で、疾病対応の基本だ。感染者の隔離や医療体制が追いつかないような流行を防ぐことができなければ、医療体制の崩壊を招くだけでなく社会・経済の混乱を招くことになる。そうした事態を避けるためには、何よりも「早期発
見と隔離、治療」を最優先するのが大原則になる。罹患した患者の自由は当然ながら制約されざるを得ず、感染拡大を抑えることが最優先するのは当然の選択であり、社会経済活動を維持するために感染抑制策を緩めることは、悪循環を繰り返した挙句、より深刻な社会経済の混乱を招くことになる。
 昨年夏の第2波以降10月になって第3波が始まってからの感染拡大期に「感染対策と経済の両立」を唱えて「経済を回す」ことにこだわる選択は、本来あり得ない政策だった。医療体制の逼迫が悲鳴を上げるように発せられてからも「経済との両立」を主張して「感染対策優先」へ舵を切らなかったのは、明らかな政策の失敗であり、年末以降の爆発的な感染拡大と重症者や死亡者の増大が「人災」と批判される理由だ。
 ゼロ・コロナ戦略は、感染拡大期に「感染対策と経済の両立」をめざして爆発的感染をもたらした政府の政策の失敗を踏まえて、パンデミックに対応する本来の政策でもあり、抜本的な政策転換を求めるものだ。政策の失敗による人災で、この間に死亡した犠牲者や入院治療の遅れから生死の淵をさまよった重症者を再
度生み出してはならない。再度の経済的苦境に追い込まれた事業者や生活者の苦境を再現してはならない決意を、政府も政治家も市民もかみしめねばならない。

ゼロ・コロナ戦略を成功させるための、当面の課題

 爆発的な感染拡大を避けるために先ず求められるのは、第一に感染者を早期に発見し、隔離、入院治療を施す体制だ。
 第1波のときから指摘されてきた「徹底的なPCR検査の拡大」は、当初から比べると検査数は増えたと言っても一日数万から多くても10万件にとどまっている。百万件を超すアメリカなどと比べるとけた違いに少ない。国内でも新しい、簡易なシステムも開発されているにもかかわらず飛躍的な拡大が進んでいない。
変異型の感染が発見された地域では、確認された地域全体の社会的検査が必要と言われているが対応できていない。
 医療体制の逼迫は第1波以来指摘されてきたが、第3波では医療現場からは連日悲鳴が上がっていた。一般診療にもしわ寄せがいく一方で、感染が確認された患者も入院・療養施設がないために自宅待機者が大都市圏を中心に3万人超に上った(1月13日時点)。入院と宿泊療養施設の患者数をはるかに上回る状況のもとで、治療を得られないまま亡くなった人も続出した。総病床数は世界一だが感染症に対応できないネックを解消し、医療人材を確保するのは政府が何よりも優先すべき課題だ。いま計上する必要のない予算が多額を占める第3次補正予算の組み換え、医療と保健体制の強化に金と人を投入することが重要だった。
 第二の課題は、感染拡大で事業収入が激減したり、働く場を失った人たち、収入の減少で暮らしが経ちいかなくなった人たちへの手厚い支援だ。暮らしの現場の声に耳を傾けた支援策の強化は、与野党を超えた政治の課題である。
 国会論戦を聞いていても、菅政権は未だにコロナ対応の誤りを認めないが、上記の ①検査体制の飛躍的拡充 ②医療保健体制の抜本的強化 ③感染拡大による生活と事業の継続に困窮している人たちへの手厚い支援――は、野党が一致できるコロナ対応策だ。与党内にも賛同できる勢力が少なくないはずだから、一刻も早く政策転換を図る手立てを講じることが至上命題ではないか。

喉元過ぎれば「規制解除」に“前のめり”になる政治家や自治体、悪循環を避けよ

 第3波は1月中下旬でピークを脱し、2月に入って新規感染者数が沈静化に向かう中で、早くも「緊急事態宣言の解除要請」を口にする首長が現れている。宣言の延長期間に入った途端に、大阪府の吉村知事が声高に発言しはじめたのがその典型例だ。たしかに新規感染者数では大幅に減ってきたが、医療体制の逼迫状
況はいぜん厳しいままで、医療現場からは「いま解除すれば元の木阿弥になりかねない」という声が強い。
 知事からすれば、感染拡大のピークを過ぎれば「経済活動の悲鳴」に目を向けたいというところだろうが、ここは「悪循環を避ける」ことを最優先するべきだろう。医療現場だけではなく、すでに「自粛生活」を1年続けてきた市民も「だらだらと感染拡大を繰り返すのはご免だ」という気持ちだろう。
 感染対策は医療対策でもある。昨年8月、4つのステージを設定し「社会経済と感染対策の両立のための目標と基本戦略」を政府に提言した政府の「感染症対策分科会提言」が、医療・公衆衛生の立場と経済優先を主張する政府との“妥協の産物”であったことを、あらためて想い起こしたい。