──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
松本誠のメールマガジン
「新型コロナ」市民ジャーナル(8)2021.1.10
(9)制御不能? 医療は「崩壊から壊滅へ」? 不気味な「第3波」の動向
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新型コロナ感染症が世界を覆い始めてから、1年を経た。世界の感染者数は9000万人、死者は200万人に近づいた。一日の感染者数は80万人を超える日が続き、毎日1万5000人近くが亡くなっている。国内の第3波も、年明け早々から新規感染者が7000人を超える日が続き、死者も4000人を超えた。首都圏には8日から緊急事態宣言が再発出され、関西3府県も宣言を要請した。医療体制の崩壊が現実になったからだ。
この「新型コロナ」ジャーナルを書くのは、半年ぶりの再開である。第1波の緊急事態宣言下の5月初めから2ヵ月にわたって7回連載してきたが、その後の多忙に紛れて休止していた。
第1波では緊急事態宣言下の移動制限が6月19日に全面解除されて感染拡大が下火になったのも束の間、政府のコロナ対応が影を潜め、経済優先の象徴である「GoToキャンペーン」が始まる中で7月に入り第2波が再燃し、その後もだらだらと拡大する中で11月に入ると第3波が一気に燃え上がった。
この間、コロナ対策では終始「的外れ」の対応を繰り返し、医療・保健体制の強化に手を付けなかった安倍政権が退場し「安倍政治」の継承を掲げた菅政権もまた、無為無策に終始した結果がこの事態をもたらした。50兆円を超す空前の補正予算を積み上げながら、肝心の感染症対策が空回りし、医療・保健、介護福祉の現場を窮地に陥れ、国民生活の窮迫と不安を招いている。
手の付けようがない状況に陥っている英米などの状況が、国内でも現実のものになりかねない。「コロナ禍の地獄絵」を回避し、未来に希望を持てる「コロナ後の社会」への展望を見出すためには、何をすべきなのか? このジャーナルを再開し、考えてみたい。
「コロナ禍の地獄絵」を避けるための緊急医療体制の強化
年末も押し迫った27日、立憲民主党の参院議員(長野県)で元民主党政権の国交相を務めた羽田雄一郎氏がコロナ感染で急死した。53歳の若さで、発熱からわずか3日間の急死に衝撃を与えた。国内での著名人のコロナ感染死は3月に死亡したコメディアン志村けん氏もいるが、発症3日目の死亡は衝撃だった。すでに自宅待機や宿泊療養者の症状が急変し、治療を得られないまま死亡する例も次々に出ている。軽症、無症状の感染者が多く、検査体制が未だに立ち遅れている中で、治療の間もなく急性症状で死亡するかもしれない。昨年9月以降英国で発見された感染力や症状悪化が一段と強い変異型の感染も確認されている一方、医療体制がひっ迫している状況だけに、不気味さが加速する。
欧米で深刻になっている医療崩壊の危機は、日本の感染者数とは比べ物にならない感染状況下の中でのことだ。日本では欧米に比べると桁違いに少ない感染者数にもかかわらず、すでに医療崩壊の危機に直面している。感染症と重症感染者への医療体制が立ち遅れていることは、第1波のときから指摘されてきたことだが、1年経っても医療体制強化への手立てが講じられていない。感染症対策と大胆な地域医療体制の強化が火急の課題であったにもかかわらず、1年間かけ声だけにとどまってきた。爆発的な感染拡大に対応できない医療・保健体制は、コロナ以前から指摘されていた。第1波の後、何をさておいても取り組まねばならない施策に手をこまねいていた。
18日からやっと始まる通常国会に提案される第3次補正予算も、「GoToへの追加予算」や国土強靭化策への巨額予算はあっても、本格的な医療・保健体制強化への予算は微小なままだ。第3波の窮地は政府の無策による「人災」と言われる所以だ。感染制御と社会経済活動の両立を図る以前の問題である医療体制の強化に、この期に及んでも対応できていない。東京都ではすでに、入院患者の2倍以上に当たる陽性者が自宅療養を強いられ、入院・療養等の調整中が自宅療養者と同じ約6700人にも上っている。隔離の必要な患者が1万3000人も自宅に留め置かれている状況は、すでに医療崩壊の何物でもない。
臨時的なコロナ専用病棟、国はなぜ整備に手を付けない?
日本の医療体制は、病床数では世界で有数のレベルだが、感染症をはじめ重症者対応では欧米に比べても著しく後れを取っていることは、第1波の際に露呈した。欧米よりも一桁少ない感染者数にもかかわらず医療崩壊の瀬戸際に立っているのは、そのためだ。PCR検査体制を積極的に進めないのも、検査によって感染者を顕在化させると医療が追い付かないこともあって、クラスター対策優先を理由にPCR検査体制の強化を控えてきた。しかし、現在のように感染激増の中で「感染経路不明」の陽性者が過半数になってくると、もはや制御不能に陥り、手の打ちようがなくなってくる。
中国が感染爆発初期の段階で武漢市に2000床のコロナ専門の臨時病棟を1ヵ月で立ち上げ、全国から5万人の医療従事者を集中させたのは、大量の一斉検査と陽性者の隔離で感染拡大を抑え込むためだった。武漢市を封鎖し全国への感染拡大を抑え込むとともに、軍をはじめ全国から医療従事者を集中し、短期間で封鎖を解除した。東京都の累計感染者数7万人超は、武漢市の都市封鎖中の感染者数5万人余を大きく超えている。公私立病院を総動員して収容している入院者数は3000人余に過ぎない。
指定感染症の2類に指定されている新型コロナ感染症は、感染が確認されると感染拡大を防ぐために隔離が前提だ。法的に隔離を義務付けているのに、隔離する病院や軽症者用の宿泊療養施設の設置を自治体任せにして、国はその費用の補助を出すだけにとどまっている。本来は新型コロナ感染症患者用の医療体制は国の責任で対応するのが本筋にもかかわらず、自治体まかせ、医療機関まかせが続いている。
医療現場がひっ迫する中で、12月初め、医療現場で人手の乏しい北海道や大阪府の要請を受けて、旭川市と大阪市に自衛隊から計10数人の医療従事隊員が派遣された。自衛隊は医師・看護師それぞれ1000人を擁しており、感染症対応の教育支援で全国の自治体に出向いている専門集団でもある。その自衛隊からの初の病院現場への派遣だったが、わずか2週間で「任務終了」し引き揚げた。自衛隊からすればコロナ感染症への派遣は「主要任務ではない」ということだが、感染拡大の状況を「災害」と認識するなら、政府として思い切った対応が取れないはずはない。都内に1000床規模の臨時病棟をつくり、自衛隊にその運用を担わせる「災害対応」を、政府も政党もなぜ踏み切らないのか、不可解だ。10年前の東日本大震災では、当時の民主党政権は自衛隊員の約半数に当たる10万人超を長期にわたって災害出動させた。
既存病院に「コロナ対応の病床を増やせ」といくら要請しても掛け声だけに終わる。最大のネックが医療人材が払底していることにあり、看護大学などの学生動員を呼び掛けても即実践力にはつながらないと医療現場からは冷笑されている。医療従事者の離職を止め、退役従事者の復帰を呼び掛けるにしても思い切った危険手当を上乗せしないと掛け声倒れに終わるのは明白だ。これ以上「掛け声ばかりの政権」を繰り返している時間的余裕がないことは、医療現場からの悲壮な訴えに耳を傾ければ明白だ。
国がリーダーシップを取れなければ、地域医療体制に責任を持つ自治体が大胆な医療体制の強化策を先行し、国が全面的にバックアップするよう自治体政府が結束して圧力をかけるしかない。高齢者の死亡者が急増している介護福祉施設への対応も同様だ。国と地方の関係を逆転させる好機ではないか。
「コロナ後の希望ある社会」へ向かう経済・社会構造の転換
「感染症対策と経済対策の両輪」と言いながら、肝心の経済対策はおおむね「的外れ」に終始している。
「GoToキャンペーン」が窮地に陥っている観光産業や飲食業への支援策として機能しないのは、コロナ後の社会を見据えた産業構造や社会構造の転換が視野に入っていないからだ。アベノミクスが旧態依然の成長政策志向から脱却せず失敗に終わったのと同様に、コロナ前の「経済V字型回復」を夢想していることに落とし穴がある。過大なインバウンド再来への期待、過剰な観光産業への傾斜、破綻した輸出戦略経済への依存、人口減少・縮小社会を無視したインフラ公共事業への傾斜、需給バランスが崩れている外食・流通産業―などから目を背け、真摯な反省と見直しを欠いたまま、相変わらず「成長経済」への夢を追い求める姿勢を引きずっているからである。
1年前、第1波の感染に揺さぶられる中、歴史的なパンデミックが地球規模ではじまる中で、今回のパンデミックが戦後の飽くなき成長経済やグローバル化を大転換し、地球環境の持続的発展を最優先した経済社会をめざす視点が多様に提起された。今回のパンデミックを後世に活かしていく視点が山のように提示されたにもかかわらず、この国では「ウイズコロナ」「アフターコロナ」という横文字の氾濫を「感染拡大に警戒しながら、経済活動を進めていこう」という“ご都合主義”的解釈が跋扈(ばっこ)してきた。
新型コロナウイルスとの共存・共生を意味する「ウイズコロナ」は英語ではCoexist with the coronavirusあるいはCoexist with COVID-19と表記される。Coexistは、共存・共生を意味する。今のパンデミックが終息すれば、いずれ元の世界に戻るのではなく、コロナウイルスはしたたかで、しぶとく、災禍はこれから何度も起こる。人々の暮らしのあり方や価値観を変化させていこう―という趣旨だが、ご都合主義の日本の政治家にかかると「感染対策と経済を両立させていこう」にすり替わってしまう。
なぜ、こうなるのか? 次回、もう少し深く考えてみよう。