──新型コロナ感染症と、どう付き合っていくか──
「新型コロナ」市民ジャーナル(2)2020.5.7
(3)これから始まる“史上最強のウイルス”との長い付き合い
→(1)は、こちら
政府は5月4日「緊急事態宣言」を5月末まで延長することを決定した。4月に引き続き全都道府県を対象とする一方、特定警戒都道府県以外の34県は社会経済活動の再開を一部容認した。感染拡大を抑えることを優先することと、社会経済活動の解除を求めるニーズを配慮した“現実的な対応”だが、相変わらず先の見通しは明確にできず、国民の求心力を高める政策の提示は行われないままだ。
1月15日に国内初の感染者が確認されて以降、政府の対応は“後手後手”に回ってきたことは衆目の一致するところだが、都市封鎖一歩手前の緊急事態宣言による「外出自粛要請」で、さらなる国民の自由と権利、暮らしと経済活動の犠牲を強いるためには、未曽有の災害対応にふさわしい政府の総合調整機能と政策提言専門家チームの拡充が不可欠だ。もはや、これまでの政策にもならない「思いつき」で時間を費やす余地はない。
専門家会議に依存した感染症対策“丸投げ”、見えぬ政府の「政策責任」
政府が緊急事態宣言に基づく「基本的対処方針」のもとになる「状況分析と提言」をまとめるのは新型コロナウイルス感染症対策専門家会議だ。感染症対策の専門家12人で2月16日に発足し、5月4日までに13回の会合を開き、次々に提言をまとめてきた。「クラスター対策班」と称する研究者チームが情報をまとめ、分析結果を専門家会議に提供して支える。厚労省内に専用の部屋を設けて、約30人の研究者により分析作業を昼夜続けているワーキングチームだ。
緊急事態宣言の法的根拠となる新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく「有識者会議」も3月末に立ち上がり31人で構成する。この会議には感染症専門家だけでなく各界のメンバーも名を連ね、自治体からも知事会や市長会、町村会の代表も加わっているが、実質的にはこの中の16人で構成する「諮問委員会」が政府から基本方針の諮問を受ける。諮問を受けると言っても、諮問委員会と基本方針のもとになる提言をまとめる「専門家会議」の顔ぶれはほぼ同じで、3つの会議の正副会長を3人の感染症専門家で回しているから、政府のコロナ対応はこうした組織による感染症専門家に依存していると言ってよい。
政府が官邸内に新型コロナウイルス感染症対策本部を設置したのは1月30日だった。この時点で中国の感染確認は7711人、死者170人を数え、国内でもすでに9人の感染が確認されていた。中国、タイ(14人)に次いで3番目の感染者数だったが、焦点は前日から始まった中国・武漢からの政府チャーター便での帰国者対応が中心だった。2月に入ると横浜港に入港したクルーズ船対応に忙殺され、国内感染への「後手後手」対応が始まる。習主席の訪日やオリンピック開催への影響を気にしていた政府は、国内感染拡大への危機感が乏しい中で、専門家会議に依存した対応が始まる。
3月に入り特措法改正は成立(13日)したものの、官邸主導の「アベノマスク」騒ぎや「お肉券・お魚券」案、首相の動画サイトへの批判など、迷走する政府の対応に危機感を感じた研究者らは自らメディアを通じて国民への情報発信を積極的に行うなど、政府の中核的な役割を演じてきた。
今回のように大規模な感染症対策に当たる際に司令塔になる組織が政府機関の中にない国の問題はあるが、専門家の知見を総動員して政策決定に反映していくことは重要である。しかし、専門家の提言を受けて政策を決定し執行していくのは政治の責任にもかかわらず、これまでの対応は専門家会議やワーキングチームに依存し、政策に責任を持つ政府の姿が霞んでいる。
その問題点を内閣政治の在り方に詳しい東京大学の牧原出教授(政治学、行政学)は「安倍政権の未熟さを、前のめりの『専門家チーム』があぶり出した」(朝日新聞「論座」5月2日)と、4つの問題点を指摘している。
一つは、官僚原稿棒読みの首相会見で、国民に説得力ある説明ができず、専門家を同席させて説明を“丸投げ”し、責任を押し付けている。
二つ目は、経済政策の担当大臣に感染症対策の特命大臣を兼務させたことで、感染症対策と経済対策という「アクセルとブレーキ」役という矛盾する役割を西村大臣に委ねた。特命大臣は各省大臣と比べると圧倒的に少ない寄せ集めのスタッフで、大役をこなせない。
三つ目は、対処方針は感染症対策だけでなく、次第に社会経済的な対応も含む方向へ広がっていくが、感染症の専門家会議しか組織されていないために、感染症専門家が幅広い分野にわたる説明を国民にしていかねばならない状況に追い込まれている。
四つ目は、感染症がもたらす社会経済全体への影響と対策について、本来は政府が感染症対策と社会経済対策への方針を総合的に判断して打ち出さねばならないにもかかわらず、その対応能力と姿勢を欠いたままだから、長期的な予測や対策が明示できないまま時が過ぎゆく無責任な事態が進んでいる。この感染症は第2波、第3波が襲ってくる可能性が日増しに強まってくる中で、またしても対応が後手後手に回り、傷口が広がりかねない懸念が高まっている。
とくに新型コロナ感染症の特命大臣を任命してから、感染症対策の役所である厚労相や内閣の総合調整を担う官房長官の影が薄くなっている。政権内部に分裂が生じ、決定と責任の分担があいまいになっていることも指摘されている。
大規模感染症対策の国と自治体の責任、“出口戦略”をめぐって
2月末に首相が唐突に表明した「学校の休校要請」4月7日に発した「緊急事態宣言」はいずれも公衆衛生上の必要からの外出自粛、社会経済活動の制限だが、同時に国民の暮らしや経済活動を大きく制約することから、要請や制限をいつ解除するかの“出口戦略”が常に問題になった。今回の宣言延長はさらにその期間を延ばすものだから、いつ、どのように制限を解除するかが問題になっている。
4月の宣言の際には「休業要請するには補償が不可欠」とする自治体側と、「休業補償はしない」とする国側で論争や対立があった。最終的には国が補正予算で組んだ1兆円の特別地方交付税を財源に自治体が補償代わりに支給することを認め、自治体側がさらなる交付税の上乗せを求める対立があった。
今回の宣言延長に際しては、34県については県ごとに制限解除を行うことは認めたが、制限を続ける13都道府県については感染症の動向を見ながら自治体に対応を委ねた。
こうした流れの中で、大阪府の吉村知事は「出口戦略なしの宣言延長は無責任」と真っ向から政府の対応を批判し、独自の出口戦略基準を定めることを表明した。これに対して西村担当相は「休業要請は知事の権限で行い、解除するのだから、知事の権限で裁量するのは当然だ。国に基準を求めるのは大きな矛盾だ」と反論した。
今回の地球規模のパンデミックは未曽有の新型コロナ感染症の拡大であり、国民のいのちと健康、暮らしに甚大な被害をもたらしている。その対応は「大規模災害」として国が全力を挙げて取り組むのは当然だ。ただ、感染症蔓延の状況は、国内でも地域によって異なるから、住民のいのちと健康、暮らしに責任を持つ自治体が責任をもって具体的な対応をするのも、また当然のことである。この国が地方分権システムに移行して20年目の節目の年に起きた大規模感染症への対応は、自治体にとっても大きな試金石になる。
大規模災害における国と自治体それぞれの役割と責任は、阪神・淡路大震災以降25年を経て、繰り返し明らかになっている。政府と自民党には「災害」として認識しているかどうか危うい面はあるが、感染症の拡大に伴い住民のいのちと暮らしが危機に瀕し、地域社会と地域経済が破綻に直面している状況は、まぎれもなく「大規模災害」である。
これに対応する国(政府)の役割と責任は、感染症の拡大を止めるために医療崩壊を防ぐ財政的、人的支援の緊急措置を取るとともに、自力で対応しきれない地域への全面的な支援態勢を組むことであり、そのために必要な法的措置を講じる責任がある。
ところが「緊急事態宣言」による行動制限は「医療崩壊を防ぐため」としながら、医療崩壊を防ぐための人的、物的、財政的支援は“かけ声”と微々たる補正予算にとどまっている。抜本的な財政措置と人的支援が3カ月経っても進んでいない。冒頭に述べた通り、政府はその収束への見通しも判断材料も提示できておらず、政策の振幅も激しく、国民や自治体の期待に応えられていない。
このような時こそ、自治体の出番ではないか。政府に対して国本来の責任を果たすように一致して求めるとともに、住民・市民との連携を深めて独自の判断で政策能力を競う。手ごわいウイルスを克服する決め手は市民との連携にある。住民自治の仕組みと具体的な施策が問われる。